一八九〇(明治二三)年四月、四〇歳のバーンは新聞記者として来日した。このときが彼の日本語学習の出発点である。間もなく彼は、報酬の低さに憤慨して新聞社との契約を破棄し、日本語・日本文化研究者B・H・チェンバレンらの口添えで松江尋常中学校、尋常師範学校の英語教師の職を得た。その年の末には、小泉セッと結婚している。バーンがチェンバレンに宛てて書いた初期の手紙のなかに、彼の日本語学習に対する意欲を窺わせる箇所がある。その訳文を見てみよう。わたくしは、最小限、ひとっの民族の話し言葉を習得し、その民族の情緒的特徴を幾分かでも解せるようになるまでは、その民族について本当のことなど書き得るものではないと考えております。まもなくわたくしが仕事に専念し、日本語の勉強ができるようになるのは、まちがいないと思っております。(『ラフカディオーハーソ著作集』第一五巻)もとより異国の言語や文学に並々ならぬ興味を抱いているバーンのこと、相当の熱意をもって日本語学習に取り組んだことは推測に難くない。はたして彼はどの程度の日本語の運用能力を身につけたのか。これはじつに興味深い問題である。すなわち、日本語と英語との言語的な差異を考えた場合、四〇歳のバーンの日本語学習は、ほぼ同年の日本人の英語学習と条件的にほぼ等しい。もちろん、日本人の場合、たいていは中学・高校で基礎的な英語の訓練を受けているから、完全に等しいとは言い切れないが、神学校での成績を見てもわかるとおり、バーンには持って生まれた語学の才がある。とりあえず、英語の基礎と語学の才を差し引きゼロとすれば、バーンがどれだけの日本語能力を身につけたかを見れば、日本の英語学習の「やり直し組」が英語圏に移住して英語漬けになった場合に身につける英語力が、ほぼ予想値として算出できる。
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